2012年1月25日水曜日

期待されること、期待すること

障がいがあることで
期待されない状況が起こりやすい.




親に
先生に
友達に


「この子はこれできていればいいのではないでしょうか」え

「できなくても仕方ないですよね」


忘れ物をしても仕方がない.
急がなくても注意されない.
掃除していなくても何も言われない.
・・・・




子どもは友達から、先生から期待されない環境の中で

する必要があることを選択しなくなる.
周囲がやってくれるのを待つようになる.

そして徐々に
必要があることことを促されても
することに価値を持てなくなる.
やりなさいという先生の手を振り払う.

そして徐々に
頑張らなかった結果の責任を持たなくなる.
勉強についていけない現実に対し
やれない理由を先生にぶつける.
テストでは白紙が多くなる.
・・・





社会が障がいがあることに対し期待を持ちにくいのは
日本の文化なのかもしれない.
労わろう、助けてあげよう、
そう考えてきた背景があるのかもしれない.






でも先生と話をしていくと
その状況を満足する人は今まで誰もいなかった.

みんな本当は子ども達に期待したいんだ!と
心が叫んでいる.




友達もはじめから期待しなかった訳じゃない.
忘れ物を許される.
急がなくても許される.
頑張らなくても許される.
そんな大人達の作る環境の中で
期待してはいけないと学んだだけだった.

でも大人が見ていないところでは
遊びの中では
対等に喧嘩もする
子ども達も仲間として
期待したいんだと感じる.





学校の中で、
本当は期待したい人々の思いを
期待していいんだと思えるように
情報提供することが
作業療法士の大きな役割だと感じます.

時には
頑張って参加できる環境づくりを
先生とすることで.

時には
頑張りたい、期待してほしい
その子の作業を届けることで.


作業療法士は
人ー作業ー環境
から情報を提供できる唯一の専門職だから

2012年1月11日水曜日

子どもがキラキラするとき





1人の子どもがキラキラ輝きはじめる瞬間がある。
自分のやりたいことで心がパンクしそうなほど膨らんで
嬉しくてたまらないとニコニコする瞬間がある。


その子を支える人達が、次々と支援をはじめる瞬間がある。
次どうしよう、これやろう!あれやろう!
そうやって支援を楽しむ瞬間がある。


2つの瞬間はほんの少しの時差はあるけど
いつも同時にその時は訪れる。

2つの瞬間は一滴のしずくが落ちるように
はじまり
そして広がり続ける。



2つの瞬間はいつも共通したことの中に現れる。
脳性麻痺の子として
自閉症の子として
といった“障害”という枠からではなく

1人の子として
その子の人生の可能性に気づいた時に訪れる。
そしてその気づきは
その子の作業を見つめることで実現できる。




可能性の気づきは
その子への期待として広がり
もっとこれにチャレンジさせたい。
もっとこれに参加させたい。

                                                     
『して欲しいこと』として表現させる。
その『して欲しいこと』実現のための支援はとても楽しくとても前向き。


だって、みんなの頭の中に
もうそのこの素敵な将来が描かれているから。



期待のシャワーを浴びて
またその子自身も自分の力で人生を切り開きはじめる。

脳性麻痺だから特別支援学級ではなく、その子にとって大切な選択を

機能ではなくその子の大切なことを見つめたとき、
周囲の人は脳性麻痺があるから特別支援学級という選択はしませんでした。



今、その子にとって大切なことを見つめ
通常学級の進むことをみんなで選択した
脳性麻痺の女の子は毎日笑顔です。
そして先生も女の子と関わって
このクラスが彼女らしい成長に重要だと話していました。

勉強や体育に配慮は必要です。
でも、そんなことよりも
その子にとってここで生活することが
その子の人生に大切なんだと
自信をもって感じられることは
その子とその子の成長を支える人達の
有意義な日々に繋がる。

そう目の前の人たちが私にも教えてくれます。



どうしたら授業に参加できるだろう。
どうしたらクラスみんなで協力し続けるだろう。


巡回相談の度に先生から挙がることは
いつも前に前に向いています。

そして先生もお母さんも女の子も
楽しそうです。