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2016年1月24日日曜日

保育所(学校)だから成長できること

昨日は恩納村の保育所の合同研修会でした。
恩納村へ巡回相談をはじめて3年目になります。


恩納村の保育所は所長さんの温かいサポート体制の中
ベテランの保育士からアイディアいっぱいの若い保育士さんまで
みんなで一緒に保育に取り組む連携があります。
地域の環境的に自然も多く
保育所なのに「ただいま」と言いたくなる
雰囲気の中、子ども達も伸び伸び生活していることをいつも感じます。


届けたい保育と子どもの成長

一人の男の子がいました。
男の子は言葉が少し苦手で、遊びの輪の入り方もわかりませんでした。
でも、友達が大好きでした。
そんな男の子はいつも三輪車に乗っていました。
先生が言いました「三輪車は保育所で一番人気の遊びなんだ。彼は三輪車に乗ることで友達を待っているんです」
三輪車に乗る男の子の周りには、いつも友達がいました。

ある時、男の子が手を洗っている間に三輪車がなくなりました。
男の子は泣いてその場に立っていることしかできませんでした。
先生が「どうしたの?」と聞くと
「僕の三輪車…」とだけしか言えませんでした。
先生は「みんなー。三輪車が無いって言ってるよ」
とだけ声をかけました。
子ども達が集まりましたが、三輪車はすぐに出てきませんでした。
男の子は言葉でその想いを伝えることができませんでした。
でもジリ、ジリと集まった子ども達に近づいていました。
彼は、近づくということで「僕の三輪車返して」と伝えていました。
先生は何もいいませんでした。でもその沈黙が彼の表現をみんなに伝える手助けとなりました。

その保育所の環境の中で育って1年後
彼は行動と言葉で、自分の力で友達と多くのことに参加できるようになりました。
そして、彼は誰よりも丁寧にお遊戯が踊れる男の子になっていました。
誰よりもきちっと支度ができる男の子でもありました。


この成長は、保育所という”社会”が
引き出した成長だと思います。
ここには多くの
《やりたいこと》と《期待されていること》があるのです。
「友達と遊びたい」「先生によくやったと言われたい」「友達にありがとうって言われたい」・・・その子のやりたいこと

「子ども達だけで解決できるようになってほしい」「自分の力で伝えられるようになってほしい」・・・先生の期待
「僕も三輪車使いたい」・・・友達の期待
*「貸して」と言って「ハイ、貸します」という子ども達は珍しい。少し躊躇したり、今は貸したくないと言ったり、先に使っていいけど必ず返してねと条件付きで貸してくれたり。こんな子ども達のありのままの交流は、互いへの期待です。待ってくれる?諦めてくれる?返してくれる?その期待の中でどう行動するか選択できる環境は、子ども達の育ちに重要です。

その《やりたい+期待》がたくさん詰まった保育所・学校という社会に参加できることの重要性を、”人ー作業ー環境”の関係を入れつつ伝えました。先生達が保育の専門家として安心して子供達と向き合っていただけることが私の役割でもあります。

研修では先生方とグループワークで「届けたい保育(目標)」をもう一度
明確にしてもらいました。



多様性あふれる子供達へ保育の叶え方
後半は実際、保育が上手く届かない子に対し悩んでいる先生方へ
届け方に工夫が必要な子供も含めた、集団(クラス)としての保育の届け方の話です。

[トイレに行く]
その活動には沢山の工程(行為)が含まれています。
また一つの工程には沢山の動作が含まれています。

トイレに行ける or 行けない(can or can't)
ではなく、〇〇はできているが、〇〇は難しい
と工程ごとに見ていくことでその子の苦手としていることが詳細にわかるだけでなく、上手くできていること(ストレングス)も見つけられます。

もしも「トイレに自分の力で行くことができる」という届けたい保育に対し、その子のトイレを見てみた場合…

「トイレでいつも立ったまま。先生が来るのを待っている。」と見えていた子も
   ↓
《できずに困っていること》
1.どのトイレを使っていいのかわからず個室に入れない
2.ズボンのゴムが掴めず下ろせない、上げられない
3.手を洗い忘れる
等…

《できていること》
1.友達がトイレに向かうとそれを見てトイレに行く
2.ズボンを脱ごうとして手をズボンに近づける(脱ぐことは知っている)
3.排便・排尿ができる
等…

こうして見てみると、
「使うトイレを決めてシール貼ってあげたら?」とか「ゴムを緩くしてズボンをどこでも引っ張れば脱げるようにしたら?」とか
手くできていないことを、できるようにする工夫が浮かびませんか?

次にできていることを見てみましょう。
彼はとってもトイレにチャレンジしていることが解ります。そう、「自分の力で行くことができる」という保育に対し、「自分の力で行こうという気持ちは育っている」事がわかります。



こんな風に見ていくと、叶えるための糸口が沢山有ることがわかります。
全部がダメではなく。その保育に叶ってきていることがある(段階的に実現して行けている)事がわかります。

大切なことは叶える糸口に先生が気づけることです。
保育所や学校は集団社会です。
「こう支援しましょう。」という方法の指導ではなく、
「こうやったら叶えられる!」「コレもいいんじゃない!」といろいろな方法を先生達が発見できることが重要なのです。クラスを育てるという役割の先生の、マンパワーや時間などできることの中で、できることを選べることが重要です。


最後にはできるための方法を先生達がたくさん見つけられるために
子ども達の中で何が起こっているのか
「どうしてトイレを選べないの?」
「どうしてゴムが探せないの?」
「どうしてロッカーに入るの?」
「どうして落ち着きなく走り回るの?」

などそれぞれのケーススタディを行いました。
おそらくこの情報は先生方が一番聞きたいと思っていることとは思いますが、最後にこの事を持ってきたことには意味がありました。

はじめに子の話をしたら
「そうか!だからできなかったのか!」とできない理由見つけが頭のなかで始まってしまうからです。
大切なことは
先生の届けたい保育・教育の実現のために
どうしてできないのか?どうしたらできるのか?を考えていけることです。
常に焦点を当てることは「届けたい保育・教育」であって欲しいのです。

それが子供の可能性あふれる成長に欠かせないからです。






最後までありがとうございました。
どんな子ども達にも先生の素敵な保育が届きますように…
そのお手伝いができればと思っています。

















2016年1月3日日曜日

竹馬に乗ろう!



明けましておめでとうございます
今年も「日々ゆいゆい」ブログよろしくお願いいたします



お正月ですので我が家では「竹馬に乗ろう!」とチャレンジしました。
竹馬は幼稚園の訪問でも乗れるようになってほしいという相談もあり
沖縄の学校では大切なことのようです。


竹馬は難しいので すぐにはできず
「もっと前に乗って」「しっかり握って」
と上手くいっていないところを周囲で声掛けしがちです。でもすぐできない…
できない、できない、できない、できない……
となりやすく、やっている子供も見ている側も疲れてしまいます。


やっている子供も 応援している親も

できた!できた!できたーーーー!
とワクワクするような練習をしたいものです。


「竹馬に乗れる」
そのためにはいくつかの行為がうまくいく必要があります。
 ①竹馬を握る
  (上手くいかない状況:竹馬をすぐに放してしまう/足場がクルクル回ってしまう)
 ②竹馬の足場に足を乗せる
  (真ん中に足が乗っていない/すぐに足場から足が外れる)
 ③足場の上でバランスをとる
 ④重心を前にのせる
  (後ろに倒れる・降りる)
 ⑤右手右足、左手左足を協調して動かす
  (右手と右足が一緒に動かずすぐに足が外れてしまう)

どれも似ているような感じなのですが、
それぞれの行為は実はとっても難しいです。
同時に行う中で達成を目指そうとするとなかなかうまくいきません。

その子がどの行為が上手く行かずにいるのかな?
と見てあげて、それぞれの行為ごとに練習することがおすすめです。
それぞれの行為は同時に行わなければそんなに難しいことではないので
できた、できた!できたーーーー!
と行為ごとの達成を楽しむことができます。



例えば、次男の場合は①握る、③バランスを取る、④重心を前にのせる、に苦戦しています。


従兄弟の彼は②足場に足をのせる、④重心を前にのせる、⑤右手右足、左手左足を協調して動かす、に苦戦中です。




さっそく次男と行為ごとに練習してみました。

①竹馬を握る
これはその子の握力の課題でもあるので、竹馬に工夫してその握力でも握りやすくしてみました。

竹馬の持ち手を細くする、タオルを巻く、ビニールテープを巻く
なんかもいいですね。
私たちは即席でゴム(でもこれはクルクル動くのでいまいちでしたが;笑)


③バランスを取る
④重心を前にのせる

両方一緒に練習してみました。


「乗ってポん!」
はじめは竹馬の足場に乗れても、後ろにしか乗せた方と反対の足が出せませんでしたが、すぐに前に出せるようになって「できた!」

③バランスを取る
向い合って竹馬がバランスを取れているところまで親がコントロールをサポートし
「バランスが取れている!」ということを身体で感じさせてあげることもオススメです。
”バランスを取る”ということは理解することではなく”感じ取る”ことなので
「バランス取って」と声掛けするよりも
一緒に感じさせてあげるほうがわかりやすいです。


それぞれの行為を達成できたら
さっそく乗ってみましょう。
とても乗りやすくなっていると思います。
それを感じられるのは、教えている側よりも子ども自身の方のようです。
「乗れそう!」
と感じてくれたのなら、それはお子さんが竹馬への見通しができたということ。
ここからは子供自身の好奇心で楽しく練習できます。

これは2日目の次男の竹馬。
2日間の総練習量は3時間ぐらいです。





今回の竹馬に乗ろう!方法はもっといろいろあると思います。
竹馬にかぎらず、サッカーもお手伝いも、着替えも、勉強も
その活動自体を、できる?できない?(好き?苦手?)
だけでなく「◯◯はできていないが」「◯◯はできている」
と細かい行為ごとに見てあげると
できること(好きになれること)が増えてくると思います。

そして、なにより応援する側が楽しめることですね。
スモールステップの明確な目標を子どもと共有することで
お互いに できた、できた、できた!
とワクワクして取り組めますね。
そんな親の顔を見るたびに子どもは笑顔いっぱいになれます。



長々と最後まで読んでいただきありがとうございました。
今年も皆様の笑顔いっぱいの生活をお祈りしております。














2015年6月11日木曜日

宮古projet 幼稚園と保育所の巡回相談

宮古島の海
沖縄に住んでいる自分でも格別宮古は綺麗だと思う。

新しくできた伊良部大橋より


友利さんと宮古島に来ています。
宮古島に「届けたい教育」に焦点を当てた支援を届けるために。

1日目は幼稚園、2日目は保育所



2日目:保育所の巡回相談

来年度小学校を予定している5歳の男の子の相談でした。

先生は「以前は一人遊びばかりで友達と興味を持つこともなかったので、友達との関わりは成長したんですよ」と男の子の成長を感じている反面 「でも…小学校に向けて本当にこれでいいのか心配です」と今取り組んでいることに不安を感じていました。

その男の子は遊びでも、整列や片付けなど集団行動でも、やり始めることに時間がかかり、声かけが必要とのことでした 。

早速、巡回相談の目的を伝え、ADOC-Sを使い目標を設定することとなりました。
取り組みに協力的な所長さんの計らいで、保育所のすべての先生が参加しての面談となりました。
担任の先生、去年度まで関わっていた先生、別のクラスから成長を見守ってきた先生、保護者の声を受け取ってきた所長さん、
みんなが意見を出し合い、小学校に向けて男の子に今届けたい保育が話し合われました。

「年長さんとして率先して行動できてほしい。」
「友達と一緒に遊んでほしい!その中でいろんなことへの興味関心を育てたい。」

男の子に期待したいこと、可能性を感じること、みんなの想いを互いに出し合い
目標が決まりました。そして、その午前中観察させてもらったことから 目標を実現するための情報を提供しました。



 担任の先生は、これでいいのかと毎日悩みながらも、様々な取り組みをしてきていました。
具体的な目標を立案し、どうしてできないのかどうしたらできるのかみんなで考えたことで、
はじめて、先生の今までしてきた取り組みは、すべて目標につながるものであったとわかりました。

そのことを知り、涙目で「よかった…」と語る先生達。
この保育所の環境の中で、きっと男の子は成長していけるだろうと思います。



帰りに保育士の先生が言っていました。
「 これまでにも巡回相談は何度かありました。今度もまた何を言われるだろうかと不安でした。自分のやりたい保育に直結したアドバイスをもらったのは初めてです。嬉しかった。」

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 先日も巡回先の保育園で園長先生が言っていました。 
「専門家が来てアドバイスしてくれるのはいいけれど、診断して障害に応じた対応方法を指導する。でも、それでは子供は育たないんだよ」

昨日ヒヤリングした校長先生も言っていました。 
「どんな障害があるという情報提供はもういらないんだよ」


私たち専門家の役割はなんでしょうか。
私は、子供たちの社会参加を現場の先生たちが、実現していけるよう支えることがだと思っています。

そのことを前提に言わせてもらえるのであれば、障害という言葉で不安にさせるアドバイスではなく、届けたい教育や保育の実現に向けた目標設定と情報提供が重要だと思います。


先生の届けたい保育や教育は、クラス全体を考えてのものでもあり、クラスづくりを通してその子に届くことが、インクルーシブ教育の視点として重要だと思っています。

8月にそんな話を深めていきたいと思っています。


また来ます!宮古島
ここから私達は 日本の教育に発信していける 教育と保育の環境をつくっていこうと思っています。



ありがとうございました※*

  







2015年6月1日月曜日

勉強が好きになるために、今からできる子育て


保育所の巡回相談の一環で「子育て座談会」をはじめました。

「授業中落ち着きがない」
「宿題ができない」
など小学校では相談が多く、いつも小さい頃からのベースづくりの大切さを感じていたので、第一回目のテーマは

「勉強が好きになるために、今からできる子育てのコツ」



座談会の目的

勉強は5歳ぐらいから考えればいいのですが、実は乳幼児期からの関わりが、子供の集中力や、意欲、考える力など勉強(その他多くの活動)に必要な基板を作っています。そのことを知ることで、親御さんが、今の一つひとつの子どもとの関わりに目的とやりがいを感じていただけると幸いです。



座談会の内容

子ども達が将来勉強を楽しく取り組めるために、大きく3つの土台を育てておく必要があります。
1)安定して座れる力(姿勢保持)
2)頑張ろうと思える心
3)考える力(創造力)

まず、第一回目は上記3つの力の中で「姿勢保持と遊び」についてみんなで考えてみました。


「姿勢を保つ=重力に打ち勝つ」ですので、自分の身体の重さを感じながら遊べる活動が重要です。赤ちゃんの頃のハイハイ(四つ這い)は手を床につき、移動する度に四肢にかかる重さが変わります。赤ちゃんはボールを追っかけるなど楽しみの中で、その自分の身体を支える練習をします。

幼児期になるとますます身体が発達し、ジャンプ、落ちる、転がるなど、親が見ているとハラハラする活動を始めますね。「怪我をさせたくない」その思いは親なら当然のことですが、この時期に自分の身体の重さや、高さと感覚の違い(高いところから落ちると足が痛いなど)を感じ、重力に対し自分の身体をどのように「支えたらいいのかな?」を無意識で調整できるように育てていくことも重要です。
ちなみに、”大怪我”になる前に危険を感じ自分の行動を抑制できるためにも重要です。ですから、大きな怪我をさせないためにも、転ぶ経験、ちょっと高いところから飛んでみる経験も大切なんですね。

「椅子に座る」ためには平らな座面に身体を合わせ(ちなみに座位は立位よりも姿勢を保つことが大変です)、手を使うために身体が揺れないように支えつつ、字を書くために微細な重心移動に無意識で反応できなくてはいけません。きめ細かい姿勢の変化を、楽々できることが勉強(読書・人の話を聞く等様々な活動)に集中できるためにもっとも重要です。

どんな遊びがあるの?

高い高い、滑り台、ジャングルジム、家の柱にぶら下がる、走る、駆け下りる、芝生ソリーなどなど、特別なことではなく、親が身近に行っていること全てが子供の成長につながっています。

危険すぎるときはどうしたらいい?「だめ!」と動作を抑制するだけでなく、「ここから飛び降りれるかな?」と本人に考えさせてあげる止め方がいいでしょう。それでも危険認識が薄い場合は、自分の身体をまだ理解できていませんので、上記の遊びを多く取り入れ親子で遊びを通して学んでいきましょう。また、危険なものをどける、飛び降りる場所にクッション(布団でも可)など置いてあげることも重要です。

小学校3年生の息子が姿勢が保てない。もう遅い?姿勢づくりに手遅れはありません。子どもはスポンジのように身体も頭も成長します。どんどん関わってあげましょう。







2015年5月11日月曜日

子ども達の人生を支援する ーBecoming 存在を実現することー


鳥取に出張で来ています。久しぶりに電車の長旅で、ゆっくりブログを書いています。




巡回相談や子育て相談で環境や子ども達を評価する時に感じていることですが
評価には doingを実現するためのものと、becomingを実現するためのものがあると思っています。

何かをすること       Doing
何かになる              Being
何かになっていく   Becoming


doing   〜をする
「 洋服が着る,友達と遊ぶ,友達と叩かずにいる,教室に入る,教室で授業を受ける…」
何かをすることです。

becoming   〜なっていく
「 保育園生として自分で服が着られる,幼稚園のクラスメイトと遊べる,年長さんとして友達と物の貸し借りを叩かずに相談できる,クラスの一員として教室に入れる,同級生と一緒に頑張って授業に取り組める…」 

家庭や学校の社会の中で「息子として」「兄として」「年長組として」「友として」それができる存在になることです。社会の中で役割を担うことであり、その存在として目的を持ってそれができるということです。



【 doingとbecomingの支援の違い 】 

巡回先の相談の多くは doing のためのアドバイスを求められます。
「どうしたらできるようになりますか?」「どうしてできないのですか?」「障害がありますか?」
できない原因や、できる方法を求められます。
でも、子供達の成長を人生レベルで考えるのであれば、doing「何かをできるため」だけの関わりは、意味がないと感じています。その瞬間の何かに変化をもたらすことには効果がありますが、人生レベルの効果を考えた場合です。

例えば
「片付けない!片付けさせて欲しい」と悩むお母さんに、息子さんが片付ける方法を考えることは簡単です。評価の視点は「片付けられない問題の原因」の解明になります。
⚫︎ 片付ける手順の組み立てる力に課題があれば、おもちゃ箱を一つにして放り込めば良い物とするなど環境設定。
⚫︎ 達成感を感じにくいのであれば、片付けたらシールを貼ろうねと実績を可視化する。

でも、その後に必ず次の問題が出てきます
「続かない」「言わないとやらない」「言っても聞かない」



一方、becoming 「何かになっていく」ための関わりを考える場合、できることも大切ですがもっと重要なことは何のためにそれができて欲しいのかという 目的 です。片付けを通してどんな存在になって欲しいのかです。

例えば「片付けさせて欲しい」にも必ずお母さんの思いがあります。
もし母親が「自分のことは自分でやろうという責任を持って欲しい。だからおもちゃを出したら片付けて欲しい」と思って片付けを願うなら 
「自分が出したから」と片付けようとする息子の姿勢が重要になります。

評価の視点は「息子として片付けられる」を実現することですので、
その子の力(機能)
いつ、どこで何を、どのくらい片付けるのか(環境)
親と子供にとって”片付け”に込める意味(作業)
についての総合評価になります。 この辺のことは長くなるのでここでは割愛します。

片付けられるか否か?よりも、家族の中の一員として、息子として自分の物を片付けるという活動を、息子自身が選択し実行することが、この相談における達成となります。
「家庭で自分のことを責任持って考えらえる息子になる」 becoming 
その結果、オモチャを片付けられるということです。 



 【 becomingは人生レベルの成長 】 

「幼稚園生としてみんなと竹馬に乗れた」
「小学生として学校に自分で登校できた」
「お母さんを助ける娘としてお皿が洗えた」
「クラスの一員として50m走れた」
 
巡回相談で先生と一緒に実現していった子供達のストーリーには、どれもその先があります。

もともと全て支援員に任せていた脳性麻痺の女の子は、みんなと竹馬を練習しはじめると同時に、脳性麻痺を理由に友達と別行動することはなくなりました。支援員に頼ることなく、毎日自分の準備は時間をかけて自分でやるようになりました。それは彼女が自ら選んだことでした。竹馬を頑張るということも、身支度を頑張るということも彼女にとって大切なことだからです。
女の子は幼稚園生として、クラスメイトとして、それをすることを選んだのです。


「竹馬に乗る」といった動作の達成ではなく
「幼稚園生として友達と竹馬に乗る」という役割の実現は、
その役割の先にある活動、生活、人生すべてに影響を与えます。


子ども達の成長に重要な支援とは
こういった人生レベルの支援だと思っています。




最後まで読んでいただきありがとうございました。


 

2014年9月12日金曜日

やりたい!が言えた男の子




子供たちは「やりたい!」その想いを強く持っています.
それが成長の原動力になり
自分の可能性を広げていける.
そのことを私は子供たちから学んでいます.
巡回相談をしていて一番大切にしている力です.


そのことを教えてくれた一人の男の子のことです.




男の子は着替え、かばんの準備といった身の回りのことから手伝いが必要で
支援員がいないと何もできないと相談がありました。

「かばんを開けて」
「服を出して」
「服を脱いで」
「着替えて」
「服をしまって」
全ての行為一つ一つに声かけがないと
途中でどこかに行ってしまう.

友達との遊びでは
友達と園庭に出るものの、一人砂場で穴を掘ってはホロホロ歩き、
特に何かをすることがない.

先生は心配していました.


そんな男の子の問題に対応するために
担任の先生は支援員をつけ生活を助ける支援をしていました.
そして
「これで本当にいいのでしょうか」
と悩んでいました.


私は先生に
「先生が男の子にできるようになってほしいことはどんなことですか.どうしてそれができることが大切だと思いますか.」
と聞きました.

先生は
「彼はニコニコしているようですが、本当に笑ったり、泣いたりすることがありません.『先生!これできたよ!』幼稚園児はできたことを喜び、もっとこれがしたいんだ!と言ってくれます.でも彼は、注意されても、褒められても、心から感じている様子がない.何がしたいのかもわからない.
身の回りのことでいいのでできてほしいのです.そして『先生!できたよ』と笑う姿が見たい。彼が本当にしたいことをさせてあげたい.」

そう話してくれました.

”男の子が「できた!」と達成感を感じられるために 身の回りのことができること”

これが私たちの目標となりました.




“男の子が困っていたこと、したいこと”

男の子の生活からわかったことがありました.
男の子は聞こえることと、見えることの情報が他の子よりも沢山入ってしまい
本当に大切な情報を受け取ることができずにいました.
そのため、風の音や、友達の話声、日の光といった刺激が邪魔をして
先生が指示したことも、友達がしていることも、理解することができずにいました.

それだけでなく
自分が今何をしているのか
そのこともゆっくり感じることができず
日々の経験から学ぶことも
注意されたことや褒められたことを
自分のこととして実感することもできずにいました.


そんな中でも男の子は、友達がしていることを見てロッカーの前に来ることもありました。
見て理解することのほうが少し上手なのだとわかりました.

男の子は幼稚園を休むことはありませんでした.
着替えの時間は教室内に入り、外遊びのときは外に出てホロホロしていました.
男の子は自分がわかることを精いっぱい使って、なんとかしたいと思っているようでした.


先生とこれらのことを一緒に考え、どうしたらできるのか考えました.


それから2週間後
男の子は自分のロッカーの前で
”僕がやること”と書かれた小さなホワイトボードを見ながら
一つ一つ準備をしていました.

先生は真ん中にあった男の子のロッカーを壁の隅に移し
刺激が少ないところで作業ができる環境を作っていました.

男の子はハンカチをしまってはホワイトボードを見て
連絡帳を提出してはホワイトボードを見に戻ってきていました.
一つ一つ見ながらではありましたが、
自分の力で身支度ができるようになっていました.





その日の午後
雨が降ってきたので外遊びから急いで教室に入ってきた私たちは
男の子がいないことに気がつきました.
外を見に行くと
男の子は一人雨の中、虫取り網の柄と、長い棒をセロファンテープでつなげていました.

そのとき先生が
「あ!さっき別の子が木の高い所にいる蝉が採りたいと騒いでいた」と話しました.
男の子はその友達に蝉をとってあげようと虫取り網を長くしようとしていたのでした.
男の子が初めて、友達のためにしたい!と頑張っていたことでした.




夏休み前に授業参観がありました.
男の子は誰よりも先に竹馬を持ってきて、お母さんの前で乗ってみせました.
先生は「お母さんに見せるために頑張りたいと本人が言って 泣きながら練習したんですよ」と話しました.
そして、全ての保護者が帰った後も、男の子は最後までお母さんと竹馬を練習していました.
「僕はもっと高い竹馬に乗りたいんだ.ちょっとお母さん押えてて」
という男の子の竹馬を、お母さんは泣きながら支えていました.


2014年4月1日火曜日

実態把握は何のため?




実態・・・教育の世界では「現場の理解」「様子」について「実態」と言います。




学校と家庭の連携において、この「実態の共有」がうまくいかないと言う悩みをよくお聞きします。

「子どもの状況を親が理解しようとしない」
「学校での様子と、家庭での様子が違う」
など、実態を理解してもらうことや、実態を共有することに課題を感じているようです。

どうしてこのような課題が出るのでしょうか。
子供の状態を評価する力が足りないからではないか?
家族に説得する面接の力が足りないからではないか?

それもあるかもしれません。しかし一番重要なことは共有する「目的」なんだと私は思っています。



「実態」とはなんでしょう。


ある保育園の男の子がいました。

先生が
「トイレが未自立です。ウンチはトイレでできません。わざわざパンツをオムツに履き替えて、そのオムツにウンチをします。」
と話しました。

お母さんにお話を聞くと
「トイレは困っていません。失敗はありません。トイレでウンチをするのが怖いのか、オムツにします。自分でオムツを取ってくるんです。」
と話しました。

保育園では、トイレ未自立
家庭では、トイレ困っていない

どちらも間違っていませんが、お互いの認識している実態は合っていません。


先生が心配していました
「お母さんは問題に気づいていない…」

そして今までの経験上、この実態把握のままの面談ではなかなかうまく行きません。
問題に気づかせようとする保育園と、問題ではないことを理解してもらいたい家庭側とで溝があるからです。



さて、大切なことは実態を把握する目的です。
先生に聴きました
「トイレはどうなってほしいですか? それができることはどうして大切ですか?… 」
先生は言いました
「彼は再来年幼稚園生になる。そこではいろいろな活動がある。今のように遊ぶだけでなく、友達と一緒にものを作ったり、勉強だって始まる。野外活動も多くなる。彼は一人でいろいろとこなして行くことは難しいだろう。でもね、彼は人を惹きつける魅力がある。あの可愛らしい笑顔と、優しい雰囲気は、手伝いたいという想いを周りに起こさせる。彼のあの魅力を活用して、友達と一緒に活動に参加できる環境を作りたい。
そのために、友達と距離が空いてしまわないよう、身の回りのことを自立させてあげたい。ウンチを今のように人前でパンツを脱いで、オムツを履いてすることは、友達に嫌がられてしまう…」

この語りから、先生が『周囲に迷惑をかけない方法でトイレができる』ことを大切にしていると分かりました。


母親に聴きました
「保育園でどんなことができることを願っていますか?」
母親は言いました
「息子が学校に行きたいと思えることを大切にしたい。できないことや嫌なことに我慢する毎日ではなく、友達に助けてもらいながら、いろいろな活動に楽しく参加してほしい」

この語りから、お母さんが『学校での活動を楽しいと思えること。その実現に友達の協力も期待したいこと』を望んでいると分かりました。


お二人がそろった席で聴きました。
「先生は幼稚園でいろいろ新しく始まる活動に友達の協力の輪の中で参加してほしいと願っています。そしてお母さんもまた、息子さんが学校生活を楽しめることを願っていますね。友達の協力の輪の中で。
その実現のために先生は ” 周囲に迷惑をかけない方法でトイレができる”ことを叶えたいそうです。
そこで、学校と家庭の様子から、” 周囲に迷惑をかけない方法でトイレができる”というトイレの実現に向けて、課題となること、そして、うまくできていること を共有したいのですがいかがでしょうか?」

その話し合いの中で先生と母親は以下の点をあげていました。

  • 課題となること①人前でパンツを脱ぐ、②ウンチをしたオムツを放置していること
  • うまくできていること①ウンチを洋服に漏らさない、②ウンチがしたい時はソワソワしてわかる、③オシッコは自立している、④オムツの場所を自分で知っていて準備できる


その話し合いの結果、支援が決まりました。
1)ウンチが怖くないことを絵本を使って教える
2)オムツのストック場とゴミ箱をトイレの中にする
3)パンツを脱ぐ人に見られない場所を決める

全ての実態共有の目的は…
全ての支援の目的は…
「 周囲に迷惑をかけない方法でトイレができるというトイレの実現に向けて」


何のために実態を把握するのか?
何のために評価するのか?
何のために情報を提示するのか?

全ては子供の将来のために今大切なことを実現させるという「目的」が重要なんだと思います。




みんなの目的を明確にできるために







2013年3月26日火曜日

「やりがい」と「やりたい」

「子どものやりがいに目を向けましょう」と支援について伝えた時「子どもは遊びが好きです.ではやりたいことだからどんどんやらせていいのですか?勉強をしなくてはいけなくても遊びたいならそれをさせるべきですか?」と聞かれたことがあります.


「やりがい」は「やりたい」から生まれます.でも「やりたい」だけでは「やりがい」にはなりません.


以前学生に,様々な年齢の方の「生活の中の作業の内容と意味」について、調査してきてもらったことがあります.
その中で,仕事をしていない30代男性は「ゲーム、ネットサーフィン、マンガ、バイク…」など遊びの作業が生活の半分以上を占めていました.しかしその作業の意味については大半が「無意味」とされていました.
一方、同じ30代男性で仕事をしている方の生活には「遊び・趣味」の作業の時間が1時間程度しかない状態でしたが,「無意味」とされた作業は遊び以外の作業も含め、全くありませんでした.

「やりたい」ことに対し,人は楽しみを感じることが出来ますが,それを「やりがい」として生活の中で実現させていくためには、社会的な期待が必要です.会社員として仕事をしている、親として子育てができている、母親として家事をしている、子どもとして勉強して親に喜ばれる…
周囲(社会)に期待されることであるからこそ、それをやることに意味を感じ、役割として達成感を感じられるのでしょう.

「やりがい」=「やりたい」+「社会的期待」


そして、ニートの男性が本来「やいりたい」ゲームやネットに「無意味」と感じたように、「やりがい」のあることがないと、「やりたい」ことも見失ってしまうのかもしれません.




子育ては上手ではない私ですが、息子の「やりたい」ことを、「やりがい」にするために、社会的期待を母親としてプラスすることだけなら、頑張れるかな(笑)

2012年12月27日木曜日

友達と授業に参加したいから…

2年前の話

授業中ずっと歌っている男の子がいました。

それが発達障害なのかという視点で彼を紐解くならば、
彼はADHDでしょう。そして、歌っている行動は発達障害が起こしていることであり、いた仕方ないことと理解されるかもしれません。
授業中歌っている行動は、問題行動として、対応策を考えることになるでしょう。



でも、男の子のしたいこと、する必要性を感じること、という作業の視点で紐解くならば、
男の子は友達が好きでした。彼はみんなと一緒に教室で活動することを大切にしていました。苦手な算数でさえ。
しかし男の子はじっとすることが苦しくて、授業中は走り出してしまいそうでした。友達を叩いてしまいそうでした。だから、男の子はできるだけ友達に迷惑をかけず、みんなと授業に参加するために、歌って心を落ち着かせようとしていました。
と理解することができます。

歌っている行動は、「苦しい授業にも友達と一緒に参加したい」という、男の子の想いから生まれた行動であり、男の子の可能性も感じます。支援は問題行動の対応ではなく、男の子の想いが詰まった生活を実現させるためのものになるでしょう。

ここから生まれる支援に
私は子どもと先生の想いを感じます。




誰でも作業に焦点を当てられることができるように…

ADOCs

2012年12月14日金曜日

先生達が支援に目標を持てること




巡回相談をしていて目標を持てないまま支援をしているケースは少なくありません。

いや・・・実際のところ、目の前の問題に対応することを目標にしているか、持たないまま支援しているケースがほとんどでした。


少し前になりますが、ある学校で
授業中出て行ってしまう、友達にすぐ暴力を振るってしまうという4年生の男の子の支援に関わりました。
お聞きしたところ、1年生の頃から気になる行動は多く、悩んできたとこのと。
先生方は沢山の時間を使い、試行錯誤してきたが、上手くいかず今もどうしていいかわからないとのことでした。そして、その支援には目標がありませんでした。

目標を持てない理由に
1.先生が目標(期待)を持っていいという意識を持てない。
2.目標をどのように立てたらいいのかわからない。
3.問題への対処が目標だと思っている。
4.医療的リスクに責任を持てない。
などがあると、現場から感じています。

特に4番目の理由は、「発達障がいについて理解しましょう」という強い流れが、「発達障がいへの対応をしましょう」という流れを引き起こした結果じゃないかと思います。
「発達障がい」について、専門家ではない先生や親は当然、その対応という支援に、責任も希望も持てないので目標もあげられない、将来なんて創造できない。だから目の前の問題をひたすら対処することになり、1、2、3番目の理由も起ってしまうのだと思います。


・・・ということで、
「先生が彼の将来に向けて届けたい教育は何ですか?」
を必ずはじめに聞いています。

教育は先生の専門であり、この質問から引き出されることは「先生が届けたい教育」という名の先生の作業です。
だからこそ、そこには先生の想いがあり、それを届ける先をイメージできます。
もちろん目標を持つこともできるのです。
そして、その目標を達成することで叶えたい将来を創造することができます。
その将来と目標をみんなでわいわい話し合ったら、
「どうしたら叶えられるかな」
「どうやって実現しようかな」
ってもうワクワクしてくるでしょ。

実際、こんな風に先生と面談していると、先生の表情が変わっていきます。
自分の届けたい教育に、先生自身がドキドキしているようです。
私はそんな先生の姿が好きです。



あの時の男の子は…
そんな先生達に囲まれて1ヶ月後、授業で手を上げ発言するようになりました。
衝動的に友達に暴力を振るうことに対し、彼自身が先生と一緒に気持ちを抑える方法を考えたそうです。

そして、その成長に一番喜んだのは、先生達でした。
それは、先生の届けたかった教育だったから。




「先生の届けたい教育は何ですか?」
それを学校の中で大切にしていけるために
ADOCs(小児版ADOC)を作っています

2012年11月26日月曜日

言葉の遅れについて


言葉は
人と関係を築くため
集団活動に参加するため
自分の思いを伝えるため…
社会参加に重要なことです。
だから言葉に遅れがあると心配されることが多いのでしょう。

私の相談で一番多いのもやはり”言葉”についてです。
私は言葉の遅れの相談があった時に必ず聞くことがあります。
「言葉がうまく話せないことで、できずに困っていること、心配していることはどんなことですか?」
「言葉がうまく話せるとしたら、どんなことをお子さんにして欲しいと期待していますか?」

なぜなら言葉の遅れは心配だと思いますが、
  本当の問題は言葉が上手く話せないことで、その子が今したいこと、するべきことがうまくできないことだからです。 

もちろん言葉が上手に話せるように願いますが、言葉の遅れだけに目を向けていたら、5年も10年も言葉の問題とにらめっこしなくてはいけません。その間に、友達と遊ぶこと、クラスメイトと勉強すること、運動会で協力して参加すること…あなたと、あなたのお子さんが今経験していくべき大切なことは、どんどんすぎてしまいます。そこに参加することで沢山の思い出や、学び、これからの自分の可能性、いろいろなことを手にできるかも知れません。
 
だからこそ、お子さんに今経験させたいこと、その子自身がしたいと願うことに目を向け、言葉の壁など、その子の力だけでうまくいかないことは、周りの力や環境の力を借りて、それができることに目を向けることがお子さんの成長と幸せのためには重要なのです。  
人は自分のやりたいことや、するべきことができるとき、もっとやりたいとどんどん成長していくことができます。その中でおそらく言葉の壁を感じるでしょう。でも人は自分がしたいことであれば、苦手な言葉にも自分で成長して行くことができます。そのことを関わったお子さん達から、私自身が学びました。ですから、今どんなことができることが大切なのかに目を向けてほしいと願っています。





2012年10月3日水曜日

抱っこしてが伝われば…

人と関わる時にどうコミュニケーションをとればいいのか 
私達はそれに大きく迷う事なく
生まれた時からお母さんとアイコンタクトをとり
やがて指さすことで物をとってもらえる事を知り
「ちょうだい」「いこう」など言葉を通して自分の伝えたい事を伝え
相手の伝えたい事を知れるようになります。

甘えるために
一緒に遊ぶために
ほしい物をもらうために

人との関わりに少しの壁を感じたとしても
それを乗り越える方法を必ず理解する事ができる
その度にその方法を身につけて
自分のしたい交流を行う事ができる
私達の多くは・・・




男の子は友達を意識する事なく
全く話す事もなく
誰とも時間を共有する事なく、ただ一人で遊んでいました。

絵本を手にすれば破いてしまう
玩具を手にすれば投げてしまう
人との交流を自由にさせるには壁となる事が多く
常に側でその行動を制止する人が必要でした。

「絵本を破く」「玩具を投げる」
ある角度から判断すればそれは危険行動かもしれません。
でもこの子の角度から見れば
それは人を引きつけるための手段でした。

そのことをみんなで理解した時、もう1つわかる事がありました。
それはその子が"人が好き"であることと、"人と関わりを持とう"としていること。
ならば「どうしたら人と上手く関われるのか」それを教えてあげればいい!
先生達はその子にジェスチャーで想いを伝える事を教えました。

先生達は子ども達の学校での様子を一番理解しています。
その子が"本当は抱きしめられたい事"を先生達は
その子が注意される時に嬉しそうである様子から感じ取っていました。

「だっこしてほしい」
それを伝えるためのジェスチャーとして
ただ手を広げればいい事を先生達は男の子に伝えました。


一ヶ月後
男の子は担任だけでなく、学校中の先生に手を広げて歩き回ったそうです。
ジェスチャーで自分の想いが伝わることを知った男の子は
本を破らなくなり、友達と肩を並べて絵本を楽しむようになりました。
リズム遊びでは支援員の手を離れ、一緒に踊ってくれる友達を自分で捜して手を握ったそうです。
「先生」「抱っこして」「やって」
少しずつ、人と関わるための言葉も生まれはじめました。


男の子はずっと望んでいた
人とコミュニケーションをとるという作業を叶え
今また新しい作業が生まれています。

2012年2月17日金曜日

娘のこれからに可能性を感じられること





母親は娘の作業を知って泣いていました。
作業を通して成長する娘の姿を見て泣いていました。

この涙に深い訳があることをこの後話してくれました。

5月
女の子は教室に入ることができずにいました。

友達と関わることも
物作りを楽しむことも
何ひとつ参加せず
1人外にいました。

先生は
話をしない、目を合わせてくれない、人と関われない
そんな女の子に
どうしたらいいのか分からないと
教室に抱えて入れていました。

それ以外,ただ見つめることしかできずにいた先生が女の子に
『安心して幼稚園に参加してほしい』
『クラスの輪に入りたい、参加したいそう感じてほしい』
『女の子が楽しんで活動に参加できるよう環境を整えたい』
と願っていることを確認することができ支援がはじまりました。


女の子は
暗黙のルールがわからず困っていました。
自分の回りで人がザワザワすることが苦手でした。

でも、作業を止めている一番の要因は
女の子自身の心が参加しないと決めていることであると
AMPSから判断することができました。

女の子は幼稚園という社会に不安を感じていました。
自分が我慢すればいい、そう腹をくくっているようでした。
傷つく前に参加しないことを選び
自分は“期待されない存在”なんだと

『認めてほしい』と願う自分の作業に蓋をしていました。  

先生はそのすべてを知って泣いていました。

2週間後

女の子は教室の中にいました。
製作活動では楽しく自分の作品を作り
友達を手伝っていました。
わからないこと、不安なこと、心にしまわず、先生に聞けるようになっていました。


先生は
女の子が心地いと感じてもらえる場所に席を移動し
できるだけ明確にルールを伝えたそうです。

「些細なことだけど,女の子に届いたみたい。
本当はお友達が好きで,ちょっとアネゴハダなんですね。」
女の子の姿を見ながら先生は笑顔でした。


女の子は全ての活動に参加するようになり,
その中でどんどん成長していきました。



 
昨日,これまでの女の子のことを
お母さんに全て伝えました。
 ビデオを見て
担任の先生が話す娘の成長を聴いて

お母さんは泣きながら話してくれました。

女の子は3歳の頃まで話をしなかったそうです。
そしてずっとつま先で歩いていました。
その様子に保育所から病院で診てもらうよう言われたそうです。

病院でDrは母親に
「この子は発達障害がある。これから先このことでずっと問題が多いだろう」
そう言ったそうです。

その言葉を聞いて,
母親は
障害=問題であるならばと
娘の障害かもしれないことを否定する道を選んだそうです。

保育所で沢山のことを言われ
苦しい毎日だったそうです。


幼稚園に入り,後1年すれば小学校・・・。
そう考えた時に,障害を否定している自分は娘の人生にいいことをしているのだろうか,
娘を苦しませているのではないだろうか
そう感じ,どうしていいのかわからず本当に苦しかったと話していました。




今日,幼稚園には
腹をくくってきたそうです。
きっと問題を沢山言われる。
障害を認めるよう説得される。
そんな不安をたくさん抱えてきたそうです。

そして最後に母親は
「始めて娘の全てを話せました。そして初めて娘のこれからに可能性を感じました。もうどうしたらいいのか胸を張って解決していけます。」
と話してくれました。


担任,母親,OTで
小学校で何ができることが大切なのか
そのために,どんな環境が女の子には重要なのか
それを実現させるときの生活リスクは何か
そのリスクはどうやって解決していくのか

話し合いました。

お茶とお菓子を囲んで…

 

小学校での女の子の成長が楽しみです