2012年3月29日木曜日

問題という門の先に

人が相談をする時
十中八九、自分が今問題を感じることを話し始める。

「子どもが好き嫌いが強く、ご飯を残してしまうの。」

「息子が塾にいかずに内緒で友達を遊んでいたの。」
というように。

そうすると、聞きてはどうしたら問題が解決するか考える。
「見た目を可愛くして食べやすくしたらいいよ!」
「息子をちゃんと怒った方がいいよ。癖になるから」
みたいに。

聞き手がたくさん経験があったり、
解決方法をいろいろ知っていると
余計言いたくなるのかもしれない。

昔の私もそうでした。



でも最近、仕事でよく相談を受けるようになり
感じることがあります。

それは人が問題に感じることは
“入口”だということ。

人は問題に感じることの先に
必ず目的を持っています。

そう、いわば問題点は門であって
その先に行きたい場所があるということ。

だから、問題を感じていることに注目することは
悪い事ではないけれど
問題を解決することに焦点が当たってしまうと
門をくぐることにばかり一生懸命になって
本人すら「何のためにこの門くぐったんだっけ…」
ってなってしまう。




大切なことは、その門の先の行きたい場所はどこなんだろう
ってこと。

そして「どうやって行こうか?」
「どうしたら行けるかな?」
って考えて行くことだと思う。



そんな風に
「あなたが感じる問題を解決することで
あなたはどんなことを期待していますか。」
って一緒に問題点の先を見てみると

その人自身も気づかなかった
自分のしたかったことが見えてくる


そうしたら
自分が行きたい場所の道のり考えて
遠回り、近道、ハードルもくぐちゃえーとか
行きたい場所に行くために
沢山道があるんだって思えるから
楽しくもなる。
進むことにワクワクさえ感じるようになれる。


そして改めて今を見つめる。
この門 どうやってくぐろうか?

門をくぐらなくてもイイじゃんって
笑って終わることもある。




「答えはその人の中にある」
それは目の前の問題に対する解決方法よりも
その問題の先にあるその人の期待していること

なんだと思う。

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